Hinaのカンザス州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 5ヶ月目
メリークリスマス!
レポートを書くのも今回で5回目になります。留学は、あと6か月しか残されていません。6か月もあると考えたほうがいいのでしょうか。今月、冬休みに入ると同時に、学校の半分も終わってしまいました。年が明けて学校が始まると、あと、今まで行った学校の日数しか、学校に通うことがないのです。これから、どのくらいの速さでアメリカでの生活が過ぎていってしまうのかと考えると、いろいろな意味で不安にもなり、怖くもなります。しかし、充実した日々を送る方法は、毎日を楽しむしかないと思います。
12月に入って、何が変わったかと言えば、やはり町全体の雰囲気です。全てがクリスマス一色になりました。兄弟や友達と話をしても、クリスマス休日やプレゼントのことばかりが話題になり、どこに行ってもクリスマスのライトアップやクリスマスソングで溢れています。どの家にも、クリスマスのライトや置物などが家の中にも、外にも飾られ、日本とは違って町全体、またその1人ひとりがクリスマスを楽しみにし、豪華にお祝いする国なんだと知りました。
しかし現在、クリスマスが終わった12月の末ですが、全くニューイヤーの雰囲気が感じられません。アメリカのニューイヤーも大きな行事ではあるようですが、日本ほどではないように思います。アメリカのクリスマスが、特別大きいイベントだということはあると思いますが、それにしても、ニューイヤーを迎えるためのデコレーションなどはないようで、未だクリスマスの雰囲気が残っています。日本では、クリスマスが終われば次はお正月!新年!と、全てがお正月一色に変わるので、日本とは異なった文化ではありますが、こちらでのさまざまなイベントの祝い方を楽しんでいます。
今月、歌のクラスのコンサートでは、短いパートですがソロを努めさせてもらいました。自分の好きなことをする機会、また自分を表す場が与えられ、すごく嬉しいです。積極的に何事にも参加し自分を表に出す努力をすれば、留学生でもこの学校の他の生徒と同様に、認めてもらえるということが分かり嬉しかったです。留学に来てから私は、自分の存在の小ささや考え方の狭さに気付かされることが多く、こんな私が...といったような考えをよくしていたのですが、そういった状況で、こんな私を「受け入れてもらえる」感謝と喜びを、日々実感しています。
また最近、授業中や宿題をする際に電子辞書を開く回数が減ったということに気が付きました。もちろんまだ知らない、見たこともない単語は数え切れないほどありますが、日常的によく使うもの、宿題で出てくるものや、英語でのプリントを読む際によく見かける英単語は、今までは何度見ても覚えられずに、何度も電子辞書で調べる...ということを繰り返していましたが、そうしているうちに自然に頭に入っていて、今では以前よりもスラスラと英語の文章を読めるようになったと感じます。
まだまだネイティブスピーカーのように英語を流暢に話すことはできませんが、頭で考える際には日本語を使わずに英語で、ということを心がけています。考え事を英語でするのが苦でなくなった最近は、反対に表現を日本語で何と言うのか出てこない、ということがよく起こります。それは英語力においての、一部の大きな成長だと思います。
また、最近は会話が「楽しい」と思えるようになってきました。聞き手になることの方がまだ多いものの、人と会話が続くのです。友達と大笑いすることも稀ではなくなったり、またホストファザーのからかいも、やっとわかってきました。笑
そして今月、また新しく友達ができました。友達の紹介で出会ったその友達は、廊下で私を見かける度に声をかけたいと思っていたのに、できなかったと言っていました。生徒の中には、一緒に取るクラスがなかったりして関わる場がなければ、顔も知らない人がたくさんいます。そんな中で、私と話したいと思ってくれている人や、私を通して日本の文化を知りたいと思っている人もいるのだと言うことを知り、廊下はクラスからクラスへ移るただの通り道ではなく、そこでしかない新しい出会いの場にも繋がる可能性があると知りました。
アメリカの学校の学期は、一年を大きく分けて2つあり、夏休みが終わってから冬休みに入るまでが1学期となっており、今月学校では期末テストのようなものが、学校最終の3日間にわたり行われました。それはこの学期中に授業で得た成績を大きく左右する、最後のテストです。そのテストの範囲は1学期に習った全てが出るということだったので、私はすごくプレッシャーを感じてしまいました。なぜなら、学校に通い始めた当初は、授業の内容がさっぱりで、全くといっていいほど頭に入っていなかったからです。また私は数学の教科を途中で変更したのですが、新しく取り直した数学の先生からは「このテストで1学期の内容を(私が授業で習っていない部分も含め)全て受けてもらう」と言われたことも心配でした。しかしホストマザーや友達にそのことを話して、すごく気が楽になりました。また先生方も私の英語力や、今までの授業や宿題に対する努力を知っていると言ってくださり、理解があって助かりました。
そして、そのテストが終わればいよいよ世界の一大イベント、クリスマスです!私は、ホストファミリーと、3回のクリスマスパーティーを持ちました。ホストファザーの父と母の家で1回ずつ、またホストマザーの両親ともクリスマスを共に過ごすため、ネブラスカ州にも訪れました。それぞれのパーティーでは、クリスマスの定番料理が毎日ずらりと並び、またクリスマスツリーの下に置いてある何十個ものプレゼントを、1人が名前を呼んで順番に配り、1人ずつその受け取ったプレゼントを開けて、何を貰ったかみんなに公開する、というのがアメリカのクリスマスの伝統のようでした。
全てのプレゼントに気持ちがこもっていて、どれもいただけて嬉しかったのですが、いちばん驚いたプレゼントは、ホストファザーの母から家族みんなへのプレゼントで、なんとフロリダから出るディズニークルーズでの5日間の旅行の招待でした。そして、私も招待してくれているのです。私は、彼女が私を家族の1人としてそのクルーズに招待してくれたことに、すごく感謝しています。
私はホストファミリー、ホストペアレンツの両親や兄弟に、日本の物もあげたくて、日本語での彼らの名前、また折り鶴などをあげました。私を持ってくれている先生方にも、日本製の小物や日本語での名前をあげました。やはり日本の物は繊細で、また珍しい物も多いということもあり、みんなすごく喜んでくれて、私も嬉しかったです。
ある日ホストマザーが、もうそろそろ留学生活半分だねと言った時、涙が出ました。学校にいる留学生の中には、帰りたくて仕方がなくて泣く子もいます。しかし私は反対に、心からずっとここにいたいと思ってしまったのです。ここを去る時のことなんか、想像したくありません。なぜならここにいることは私の夢であったし、ホストファミリーが本当の家族のように思えるからです。
しかし同時に、少しホームシックになったようにも思います。ここへ来る以前からクリスチャンの私は、日本の教会で毎年行われるクリスマスのイベントが恋しくなりました。その行事は私が日本にいる時の、何よりもの楽しみだったからです。私は5か月経った今まで、家族と電話などを使って話をしたことがありません。ホームシックにかかるかもしれないという心配もありますが、その機会もあまりなかったからです。そこで反対に思うのは、5か月も会ってない、また声も聞いてない家族や友達がそこまであまり恋しく思わず、私はこのように強くいられているのです。自立したと言えるのかもしれません。しかし何よりも思うのは、ここに本当の家族がいると思えること、また友達などの周囲の人の支えがあるからです。
私は、オリエンテーションで出会ったスタッフの方と時々連絡を取るのですが、その度に、第一回目のオハイオで行われたオリエンテーションでの生活を思い出します。私がこのように前向きでいられ、目標を忘れずにいられるのは、4ヶ国から同じ目標を持って集まり、母国語でない英語で留学の不安や楽しみを分かち合い、お互いを受け入れ合った仲間たち、またそんな私たちを支え、私たちに勇気と笑顔をくれたスタッフの方々。そこでの約2週間を振り返ると、また頑張ろうと思えます。留学前は、オリエンテーションはただの事前研修にしかすぎないと思っていましたが、そのオリエンテーションは、私を変えてくれた留学のスタートでした。アメリカに来てから、毎日のちょっとした出来事が、後から私の背中を押してくれたり、毎日のちょっとした瞬間が、私の目標を失わないでいられるキッカケになったりもします。
約留学の半分が過ぎたこの頃、生活にもだいぶ慣れて、いろいろな事が当たり前のように見えたりして、初心を忘れがちになります。でも絶対に、ここにいられるのは決して自分の力でではなく、たくさんのサポートがあるからということを忘れず、また留学に来る前から掲げている大きな目標を常に見上げて、全てのことに感謝しながら、楽しみ、全力で過ごしていきたいです。それが、私を支えてくれている人、みんなに対してできるお返しです。全てが新しく、夢のように思えた留学当初の気持ちを思い出し、半年後にはこの全ての景色や経験を去るのだということを思って、一瞬一瞬を心に留めながら過ごしていきたいです。
文際交流協会の皆様、今年一年お世話になりました。また私のレポートを読んでくださっている方、ありがとうございます。来年も、みなさんにとって素敵な1年になることを願います。