Hinataのニューメキシコ州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 帰国後
お久しぶりです。Hinataです。気がつけば帰国から1ヶ月以上経っていました。去年の出発からちょうど1年経ち、思い返せばとても早く、しかし人生の中で最も濃い1年間でもありました。
今年の留学生の出発のお見送りにも行かせていただいたのでそれについても書こうと思いますが、まずは帰国直前について描きたいと思います。
前回のレポートでさらっと書いた、お別れの品ですが、1つ目は1年間撮りためたホストファミリーとの写真とメッセージを書いたアルバムです。これは完全サプライズにしたかったのでどう準備しようか悩みましたが、簡易プリントを日本から持ってきていたので1ヶ月前から写真を整理して印刷をして、アルバム自体は学校が終了した後の休みにホストマザーのお母さんにお店に連れて行ってもらいました。ホストシスターが突然部屋に入ってくることもあったのでバレないかヒヤヒヤしながらでしたが、出発の日の朝3時くらいに仕上がりました。初めてにしてはかなり上手く出来た気がしたのでちょっぴり自慢したかったのですが、急ぎ過ぎて写真撮り忘れてしまいものすごく残念です。
ホストファーザーが気に入った回ると逆さまになるコマ
2つ目は、日本のお菓子や寄木細工の写真立て・クリップ・コマを送ってもらい、プレゼントしました。何かと日本からのプレゼントを渡してきましたが、今回渡したコマが一番と言っていいほどウケが良く、ホストファミリーに何が喜ばれるかは本当に難しいなと最後に改めて感じました。
あとは小さめのメッセージカードを30枚ほど書いて、当日の出発の際に家中(椅子の後ろ、食器棚、枕の下など)にこっそり隠すというサプライズをしました。隠すことには成功しましたが、後で詳しく書きますが実は飛行機を逃して時間がありすぎたので一度家に帰ってきてしまい、もう私がここを去った体でメッセージカードを書いていたので、グダグダなサプライズになってしまいました。
また、先ほど書いた写真アルバムも見せる時間がなく、前日の夜に今作っていると言うことだけ伝えて、私がいなくなってから見てもらおうと思っていたのに帰ってきてしまったので、一人一人に書いたメッセージを読み上げられて恥ずかしくなりました。でもマザーとシスター達に加えて、いつもほとんど泣かないファーザーも泣いて喜んでくれて一睡もしないで作った甲斐があったなと思いました。そして私もつられて泣いてしまい、全員泣いてるというカオスな空間が出来上がりました。
私の使っていた部屋1年間ありがとう
ここまでは楽しい時間でしたが、この後からもう自分史上最大のピンチに襲われました。まず元々乗るはずだった飛行機を乗り遅れました。私は寝ないで作業していて時間前に出発準備万端でしたが、朝早かったため家族が全く起きてこず、結局空港に着いたのが離陸30分前で、荷物の預けなどが間に合わず次の便を待つことになりました。家族は「まだ離陸時間の前なのに!」と文句を言っていて、「そうだよね」とー応は合わせておきましたが、どう考えても間に合わないことは正直家を出る前から気づいていました。でもこの次の便であれば遅いけれど夕方にはシカゴに着くのでまだ呑気に次の便でいいやと思っていました。
この後、家に帰ったり朝ごはんを食べに出かけたり最後の思い出を作ってまた空港でお別れをして今度は早めに着いて待っていました。私は空席待ちだったのですが、本当にちょうど目の前で満席になってしまいました。この時、私のコーディネーターのお母さんが空港で働いている関係で、優先的に乗せてもらう予定でしたが、肝心の彼女を見つけることができずにまた次の便を待つことになりました。ここからは、もう焦りと不安でおかしくなりそうでした。この後からの便は直行便がなく、乗り継ぎをしなければいけなくなっただけでなく、急に飛行機が遅延し始めていつ乗れるか分からないという状態で待ち続けることになったからです。でもコーディネーターのお母さんは見つけることができ、待っている間も気にかけてくださったことが不幸中の幸いでした。
アルバカーキ離陸直後。
この風景見てまた寂しくなりました。
本来ならば朝7時にはアルバカーキを離れて12時前にはシカゴに着く予定だったのに、結局飛行機に乗れたのは午後6時を過ぎていて、乗り換えなどをしてシカゴに着いたのはなんと夜中の12時でした。シカゴでのショッピングを楽しみにしていたのでかなり残念でしたが、日本への出発は次の日だったので本当に良かったです。今年からシカゴで一泊してから帰る制度が始まり、正直ギリギリまでホストファミリーと過ごしたいし、「遅れるなんて人いないでしょ!」とか思っていたのにまさか自分がこの制度に助けられるとは思ってもみませんでした。ある意味この制度の重要性を身をもって体験することが出来ました。
私の乗り遅れにより、シカゴに着くまでずっと連絡を取り続けてくれたホストファミリー、コーディネーターや夜中に空港まで迎えに来てくれた担当者の方、文際の皆さんには最後の最後まで迷惑をかけてしまい、申し訳なかったです、すみませんでした。
と言っておきながら失敗を忘れる達なので日本行きの飛行機の際も、友達とお店を見ていたら時間ギリギリになりダッシュで向かうという迷惑行為をまたやってしまいました。一番説得力のない私が言いますが、日本人といえば!の時間厳守、早めの行動は留学先でも守りましょう!
そして日本に帰国して親や文際の方との対面では思っていた以上に自然に会話を始められたのでなんだか不思議な感じがしました。
日本はちょうど梅雨入りした時で、アメリカでは乾燥しているところにいたので蒸し暑さに驚きました。
とにかく毎日暑くて、「日本暑過ぎ!」と父に言ったら、あーそれはまあひなたが太ったからだね(笑)と言われて、私の中では「アメリカの涼しさに慣れてしまったのだね」という回答が来るとしか考えていなかったので、「言われてみればそうじゃん。単純に脂肪増加が原因じゃん、、、」と自分の変化を無視していたことに気づかされました。帰国してからジムに行き、少しは戻りましたが今は受験準備でまた通えなくなってしまっているので、新学期までには痩せようと思います。絶対。
帰ってきてからはアメリカでなかなか食べられなかった野菜が大好きになり、白米や魚などを好んで食べていましたが今は毎日狂ったようにうどんを食べています。お肉や揚げ物系は全く食べる気が起きません。後は夏祭りに行ったり、アメリカでは見れなかった海が家から近いのでフラーっと行ったりとにかく日本を堪能してます。
学校では帰国して留学の単位が認められ、高校3年生に進級できたので気づいたら受験生です。帰国後から切り替えれば大丈夫!と考えて留学前の時点でほぼなにも調べていなかったので周りが完全に受験モードでとっても焦りを感じています。帰国時点で受験生になる子の保護者の方やこれから留学を考えている方は事前にある程度調べておいた方が安心だとは思います。
そして、7月21日の今年度の留学生の出発のお手伝いもさせていただきました。
アメリカへ出発する派遣生を見ていると一年前の自分を思い出すようでした。でも自分の出発の時は、ぼーっとしてたら出発で割と無の感情だったのですが、今回送る立場としては出発が近づくにつれてとってもドキドキしたし、いちいち時間を確認してしまって自分の時より緊張しました。また言われていた通り、とにかくバタバタで、何も分からずあんまりお役に立てなかったかもしれませんが、皆さん全員の出発をお見送りすることができて良かったです。
その後文際交流協会の方から全員無事にシカゴに着いたと連絡をいただき、とうとう次の代の留学が始まったんだなと思うと同時に自分の留学がブワッと思い起こされました。
もしこれを読んでくれている留学生の子がいたら、2週間の研修はほんっっっっとうに楽しくて、アジアの友達も作れるし文化の違いも学べるしとにかく一日一日をめいいっぱい楽しんでください!最高の時間になることを祈ってます!
また1年後、日本でみんなと会えることを楽しみにしています。日本から応援してます!
盗撮みたいになっちゃってるけど…
みんな一年を最高に楽しんできてね
これが本当に最後のレポートです。1年間たくさんの方に助けられて守られて一生の思い出となる高校交換留学生活を送ることができました。ありがとうございます。この感謝の気持ちと言ってはおこがましいですが、また受験後にはSAとして未来の留学生や希望者のお手伝いをしていきたいなと考えています。
留学前と最中、先輩SAのレポートをとても参考にさせていただいて、私もそんな風になれたら!と思いやらせていただいたレポーター生。少しでも皆さんのお役に立てていたら嬉しいです。
最後まで読んでくださり本当にありがとうございました!
みんなともお別れ。また会えると