Kanataのテキサス州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 4ヶ月目
Austinの寿司屋にて こんにちは、留学生活4ヶ月目のKanataです。
(ちょっと遅いけどあけましておめでとうございます。)今回は12月のものをお伝えしていきたいと思います。(1月なのにね。)今回も拙い日本語になると思いますが最後までお付き合いいただけると幸いです。
まぁ、まったく大丈夫なわけがないので、速攻で先生にメールしてチェックしてもらうようにお願いしました。もし、学校に行けていたら、先生に聞きやすかったのに、、、なんて思ってしまう自分もいます。(余談をすると実はパーカッションをやっているのにスティックすらもらえていないので、蛍光ペンをスティック代わりにしている。)
さて、私は12月15日にFINALテストを迎えました。FINALは4日間に分かれていて、1日2教科各科目2時間の試験時間があります。
初日はBUSINESSとGEOMETRYのテスト。BUSINESSはこの1学期に習ったことはなにか、これに関連づけて、習ってみたいことは何かというものを1つのトピックにつき50語(文字数ではなくてword数なのが、日本との違い)以上で答えるだけだったので、正直2時間もいらなかったというのが感想です。GEOMETRYは教材の閲覧を許可されていたので、楽勝かと思いましたが選択肢に正解がないという問題が3問あったので、どうしようかと悩みました。結局そこは、適当に答えて、テスト後にメールを送って点数を変えてもらうことで解決しました。(zoomのchatは完全にスルーされた(泣)。)ちなみに、さも満点かのように言っていますが、95点になりました、、、(我ながら詰めが甘すぎる)。
2日目はBANDとKOREAN。BANDに関して言えば、試験開始時間が締め切り時間という変則的なもので、本来の試験時間である2時間は自習時間にあてられました。KOREANはGEOMETRY同様教材の閲覧が認められていましたが、直前に自習時間があった私は30分で終えて、その場で採点してもらい100点をもらって即終了。翌日の試験勉強に入りました。
3日目のENGLISHとSPORTSは結構大変でした。というのも、ENGLISHのテスト時間に先生はなんと授業をはじめ、その日の宿題がFINALの点数になるというものでした。このことは完全に寝耳に水。「先生、何考えてるの?」というのが私の感じたことでした。そうなってしまったものは仕方ないので、SPORTSのテストを何とか解き終え、ENGLISHの宿題、簡単な読書感想文を3冊分書くことができました。
最終日はCHEMISTRYとW-HISTORYでした。この2つの教科のテストは「英語の問題文全然読めねぇ、、、」という印象を抱きました。なぜ、それを今更?っていう声が聞こえてきそうですが、GEOMETRY以外は問題文がほぼないこと、GEOMETRYは図と式さえ見れば大体どんな問題かを予想できるというのが大きかったと思います。(日本ですでに習ったところだったので何となくパターンは把握していた。)しかしながら、最終日の2教科は英語が読めなきゃ話にならない、、、CHEMISTRYは1学期通算100点を目指していただけに結構悔しかったです。
夕食後、私の両親が私の冬服を送ってくれた時に一緒に入れてくれていたランチョンマットとともにメッセージカードを書いて渡しました。ホストファミリーは本当に喜んでくれて、私は涙がこぼれそうでした。その晩、翌日のテストと移動に備えていつもより気持ち早めにベッドに入りました。ベッドに入りながら不安からかいろんな感情が頭の中を渦巻いていました。
ホストファミリーにとって「良い留学生」でいられた安堵感、もう12月だというのにあまり英語ができるようになった実感がない焦り、新しい家族やダブルプレイスメントとうまくやっていけるのだろうかという心配や初めての対面授業や登校は大丈夫なのだろうかという不安など、1割のポジティブと9割のネガティブでした。それでも、「やるしかないっしょ」と思うことができるようになったのはこっちでの大きな成長かなと思います。
とうとうホストチェンジの時が来ました。普段はAustinに住んでAustinの大学に通っている新しいホストファミリーの兄弟が車で迎えに来てくれました。ホストファミリーと別れの挨拶を済ませて車に荷物を積んでいきました。そして、またアメリカに来る機会があったとき会いたいなと思いながらホストファミリーの家を去っていきました。
楽しい1時間ほどを過ごしたのちNew Braunfelsにある新しいホスト宅に着きました。ホスト宅について最初に自分の部屋をみせてもらいました。入口のドアが透明のガラスだったので「どうやって着替えようか」と考えましたが、さすがにカーテンを使って隠せるようになっていました。その晩ホストマザーは自身が経営するおもちゃ屋に連れて行ってくれた後、日本食のレストランに連れて行ってもらいました。私はチキンカツのほかに小学生以来のラムネを飲みました。白米やみそ汁と定食のようなものが出てきましたがチキンカツは2枚もあり、アメリカらしさも少し感じたメニューでした。夕食中もちょくちょくホストマザーが日本語を話しており、日本に興味がある人がまたホストしてくれて幸せだと思いました。これからの新しい生活に期待を抱きながらホストチェンジ初日を終えました。
(右が私、真ん中がホストマザー)前回、新しいホストファミリーにドイツの留学生がいるというお話をしたかと思います。みなさん覚えていらしたでしょうか。しかし、そのドイツの留学生は私の体験談が公開されたあと、ホストチェンジになったそうで、新しくアゼルバイジャンの留学生とのダブルプレイスメントとなりました。(そもそもダブルプレイスメントとは、1つ屋根の下に違う国の2人の留学生が一緒に生活することです。)その留学生はArkansas(Texasの隣の州)からのホストチェンジだったので私はホストマザーと共にSan Antonio International Airportまで迎えに行きました。空港で会った時、日本語が書かれたTシャツを着ていたので驚きました。(ちなみに、それが日本語だとは知らなかったのだそうですが、、、)家に向かう道中で家族の話だったり、アゼルバイジャンの話だったりを聞くことができました。学校が始まる前に1人でも知り合いがいたら心強いと思うので、早く打ち解けたいと思っています。
長くなりましたが、今回はここまでにしたいと思います。12月の20日分くらいしか書けなかった(涙)。(examについて書きすぎたかも)
次回、クリスマスのことや冬休みのことについて触れていこうかと思います。
ご精読ありがとうございました。
(ちょっと遅いけどあけましておめでとうございます。)今回は12月のものをお伝えしていきたいと思います。(1月なのにね。)今回も拙い日本語になると思いますが最後までお付き合いいただけると幸いです。
I’m back
さて、話はThanks givingによる休み明け。未だにオンライン授業の私は、友人宅から授業に参加しました。(余談ですがそこの女の子とは学校は違う。)すぐFINALテストということもあって、宿題が今までよりも時間がかかり、こっちに来て初めて夕食前に終わらないという災難(?)にも見舞われましたが、男の子とX-box(プレステみたいなゲーム機。アメリカではプレステとかスイッチよりポピュラーらしい)であそんだり、クリスマスツリーの飾りつけの手伝いをしたり、寿司屋連れて行ってもらったりして、そこでの生活を満喫しました。(この2週間でお寿司屋に2回も行けて私は幸せ(笑)。)ここでの生活で一番驚いたのが、(すし屋で)箸をさも当然かのように使えていたことでした。私から見たら少し変には見えるのですが、それでも器用に使っていました(友人家族のお父さんはポップコーンで練習したんだとか)。あまり箸を使えないというイメージを軽く覆されました。2週間という短い時間ながら普段とは違う生活を満喫して、元のホストファミリーのところに戻りました。FINAL exam
ホスト宅に帰ってきてから1週間でFINALを迎えることになりました。最後の1週間は基本的に授業を進めず、復習をしてくれる授業が多い印象です。ちなみにこの時に私はとんでもないことをしでかしていました。1学期の3rdピリオド(学期は2つですが、1学期が3つに分かれていてそれぞれで点数が出る)にて、私はBANDが0点だったという、、、ほぼ、zoomのクラスもなく、smartmusic(bandでつかっているサイト)でも、宿題を見つけられなかった私は、「今回は宿題がないのかな」なんて思っていたら実際はあったという大惨事がおきました。それに気づいたのはFINALテスト前日、、、(自分で成績を逐一確認できるので確認したら発見)。まぁ、まったく大丈夫なわけがないので、速攻で先生にメールしてチェックしてもらうようにお願いしました。もし、学校に行けていたら、先生に聞きやすかったのに、、、なんて思ってしまう自分もいます。(余談をすると実はパーカッションをやっているのにスティックすらもらえていないので、蛍光ペンをスティック代わりにしている。)
FINAL直前の成績表FINAL後(BAND危なかった(汗))
さて、私は12月15日にFINALテストを迎えました。FINALは4日間に分かれていて、1日2教科各科目2時間の試験時間があります。
初日はBUSINESSとGEOMETRYのテスト。BUSINESSはこの1学期に習ったことはなにか、これに関連づけて、習ってみたいことは何かというものを1つのトピックにつき50語(文字数ではなくてword数なのが、日本との違い)以上で答えるだけだったので、正直2時間もいらなかったというのが感想です。GEOMETRYは教材の閲覧を許可されていたので、楽勝かと思いましたが選択肢に正解がないという問題が3問あったので、どうしようかと悩みました。結局そこは、適当に答えて、テスト後にメールを送って点数を変えてもらうことで解決しました。(zoomのchatは完全にスルーされた(泣)。)ちなみに、さも満点かのように言っていますが、95点になりました、、、(我ながら詰めが甘すぎる)。
2日目はBANDとKOREAN。BANDに関して言えば、試験開始時間が締め切り時間という変則的なもので、本来の試験時間である2時間は自習時間にあてられました。KOREANはGEOMETRY同様教材の閲覧が認められていましたが、直前に自習時間があった私は30分で終えて、その場で採点してもらい100点をもらって即終了。翌日の試験勉強に入りました。
3日目のENGLISHとSPORTSは結構大変でした。というのも、ENGLISHのテスト時間に先生はなんと授業をはじめ、その日の宿題がFINALの点数になるというものでした。このことは完全に寝耳に水。「先生、何考えてるの?」というのが私の感じたことでした。そうなってしまったものは仕方ないので、SPORTSのテストを何とか解き終え、ENGLISHの宿題、簡単な読書感想文を3冊分書くことができました。
最終日はCHEMISTRYとW-HISTORYでした。この2つの教科のテストは「英語の問題文全然読めねぇ、、、」という印象を抱きました。なぜ、それを今更?っていう声が聞こえてきそうですが、GEOMETRY以外は問題文がほぼないこと、GEOMETRYは図と式さえ見れば大体どんな問題かを予想できるというのが大きかったと思います。(日本ですでに習ったところだったので何となくパターンは把握していた。)しかしながら、最終日の2教科は英語が読めなきゃ話にならない、、、CHEMISTRYは1学期通算100点を目指していただけに結構悔しかったです。
Father’s birthday
時はほんの少し遡り、火曜日。私のホストファザーの誕生日でした。なかなか誕生日プレゼントを買いに行けなくて何も用意できていなかった私は、日本から持ってきていた櫻のメッセージカードを使って、「サプライズメッセージ」を前夜に書いて玄関のドアに貼っておきました。今まで、生きてきてサプライズなぞしてこなかった私は「果たして喜んでくれるのだろうか?」という不安と緊張がありましたが、当日のお昼頃家に帰ってきたファザーは私にありがとうと言ってくれて、やってよかったという安堵感や嬉しさに包まれました。その後は、ピザ屋で夕食をとったり、親戚の方々が家に来てマザーお手製のチーズケーキを食べたり、旅行中に行った結婚式のムービー(結婚式は2人だけでやったのでみんな初めて)を観たり私自身も楽しみながらファザーの誕生日を祝いました。Last night
さて時はほんの少し戻り木曜日。その日は私がAustinのホスト宅に滞在する最後の夜でした。そんな日に私はあろうことか熱を出しました。(熱と言っても微熱ではありましたが。)その時に強烈な頭痛も襲っていたのでおそらく明日のホストチェンジの不安がもろ体調に現れたのだろうと思います。数時間寝ていたら平熱に戻り、頭痛も収まってきたのですが大事をとって夕食は少し離れて食べることになりました。夕食は私が初めて来たときとほぼ同じメニューで違ったのは牛肉が和牛になったということだけ。初めて会った時を思い出しながら、食べる夕食は本当においしかったです。(和牛がおいしいからという理由だけではない。断じて(笑)。)夕食後、私の両親が私の冬服を送ってくれた時に一緒に入れてくれていたランチョンマットとともにメッセージカードを書いて渡しました。ホストファミリーは本当に喜んでくれて、私は涙がこぼれそうでした。その晩、翌日のテストと移動に備えていつもより気持ち早めにベッドに入りました。ベッドに入りながら不安からかいろんな感情が頭の中を渦巻いていました。
ホストファミリーにとって「良い留学生」でいられた安堵感、もう12月だというのにあまり英語ができるようになった実感がない焦り、新しい家族やダブルプレイスメントとうまくやっていけるのだろうかという心配や初めての対面授業や登校は大丈夫なのだろうかという不安など、1割のポジティブと9割のネガティブでした。それでも、「やるしかないっしょ」と思うことができるようになったのはこっちでの大きな成長かなと思います。
See you until the day we meet again
とうとう来たホストチェンジの日。ホストファミリーはsecond houseに行く準備やそれぞれの仕事をして忙しく過ごしていました。私はまだ詰めていなかった分のパッキングをして過ごしました。誕生日プレゼント等貰ったものが増えたので、日本から持って行ったスーツケースだけでは足りなくて段ボールにも荷物を入れていました。(帰るまでには中身整理しないとだ(汗)。)そして、迎えの車がくる数分前にホストファミリーからクリスマスプレゼントを貰いました。クリスマスになったら開けてねと言われたのでクリスマスまで楽しみにすることとしました。とうとうホストチェンジの時が来ました。普段はAustinに住んでAustinの大学に通っている新しいホストファミリーの兄弟が車で迎えに来てくれました。ホストファミリーと別れの挨拶を済ませて車に荷物を積んでいきました。そして、またアメリカに来る機会があったとき会いたいなと思いながらホストファミリーの家を去っていきました。
New life
レストランでいただいたラムネ私は移動の車の中でホストブラザーに多くのことを話していました。ホストマザーは2、3年ほど飛騨高山に住んでいたことがあるそうでホストブラザーのうちの一人は日本で産まれたのだそうです。日本のクリスマスの話や日本食といった話題を振ってくれて移動の1時間強をほとんど話して過ごしました。途中で日本の昭和歌謡のお話になったとき、乃木坂46や櫻坂46などの坂道グループの曲と平成のJ-POPの有名どころしか知らない私は全く話についていけませんでした、、、もう少し洋楽を聴いたり海外ドラマを観たりすべきだったと思ったことは幾度とありましたが、日本の歌をもう少し知っとくべきだったとアメリカに来て初めて感じました(笑)。楽しい1時間ほどを過ごしたのちNew Braunfelsにある新しいホスト宅に着きました。ホスト宅について最初に自分の部屋をみせてもらいました。入口のドアが透明のガラスだったので「どうやって着替えようか」と考えましたが、さすがにカーテンを使って隠せるようになっていました。その晩ホストマザーは自身が経営するおもちゃ屋に連れて行ってくれた後、日本食のレストランに連れて行ってもらいました。私はチキンカツのほかに小学生以来のラムネを飲みました。白米やみそ汁と定食のようなものが出てきましたがチキンカツは2枚もあり、アメリカらしさも少し感じたメニューでした。夕食中もちょくちょくホストマザーが日本語を話しており、日本に興味がある人がまたホストしてくれて幸せだと思いました。これからの新しい生活に期待を抱きながらホストチェンジ初日を終えました。
Double placement
San Antonio International Airportにて(右が私、真ん中がホストマザー)前回、新しいホストファミリーにドイツの留学生がいるというお話をしたかと思います。みなさん覚えていらしたでしょうか。しかし、そのドイツの留学生は私の体験談が公開されたあと、ホストチェンジになったそうで、新しくアゼルバイジャンの留学生とのダブルプレイスメントとなりました。(そもそもダブルプレイスメントとは、1つ屋根の下に違う国の2人の留学生が一緒に生活することです。)その留学生はArkansas(Texasの隣の州)からのホストチェンジだったので私はホストマザーと共にSan Antonio International Airportまで迎えに行きました。空港で会った時、日本語が書かれたTシャツを着ていたので驚きました。(ちなみに、それが日本語だとは知らなかったのだそうですが、、、)家に向かう道中で家族の話だったり、アゼルバイジャンの話だったりを聞くことができました。学校が始まる前に1人でも知り合いがいたら心強いと思うので、早く打ち解けたいと思っています。
長くなりましたが、今回はここまでにしたいと思います。12月の20日分くらいしか書けなかった(涙)。(examについて書きすぎたかも)
次回、クリスマスのことや冬休みのことについて触れていこうかと思います。
ご精読ありがとうございました。