Louisのインディアナ州(アメリカ)への高校生-留学-体験談-8ヶ月目
Howdy guys, Louisです。レポートを始める前に、皆さんにお伝えしなければならないことがあります。3月21日現在、皆さんご存知の通り、コロナウイルスというパンデミックにより、世界中がパニック状態にあります。この状況を受け、BIEEの方から今朝、プログラム中止という知らせを受けました。このレポートを書いている現時点では帰国時期もいつなのか分かりませんが、僕のアメリカ留学レポートはこのレポートが最後になるかと思われます。これまでの留学生活がとても濃いものであったために、「もしあと3ヶ月弱の期間、予定通りに残ることが出来ればもっと沢山の経験を皆さんとシェアできたんたじゃないか、もっと有用な情報を皆さんに届けられたんじゃないか」と心苦しい気持ちで胸がいっぱいですが、協会の判断ですので仕方がありません。せめてこの最後のレポートで出来るだけ多くのことを伝えようと思いますので、どうか最後までお付き合いよろしくお願いします。
今回の挨拶、“Howdy”ですが、これは主にテキサスやその他のアメリカ南西部(ニューメキシコやアリゾナなど)で使われるものです。かなりフレンドリーな挨拶ですね。言及した地域以外でも普通に意味は通じるので、例えばインディアナに留学していたとしても、親しい友達におどけた感じで使うのはアリかもしれません。
3月の頭にバスケットボールのシーズンが終わりました。僕たちはSectionalという地区の大会で決勝まで勝ち残ったのですが、その決勝戦で敗れてしまいました。本来ならば帰国前にまた練習があったのですが、冒頭で述べたようにコロナの影響で早期帰国となりましたので、文字通りこの日が僕にとってDalevilleのチームの一員として最後の日となりました。このチームに居たことで得られたことは沢山ありますが、何よりもチームメイトやコーチに恵まれ、その人たちと良好な関係を築けたことが今までの留学生活でとても助けになりました。特にコーチからはバスケという括りを超えて、色々なことを教わって、時には僕が交換留学生であることを忘れさせるほど、よく世話をしてくれました。本当に言葉では言い表せないほど感謝しています。彼らは文字通り僕が人生を通して大切にしたいと思える人たちです。そんな人たちに巡り合えて、本当に幸運だったと思います。
バスケットボールシーズンが終わってから1、2週間が経った日、コロナウイルスによる学校の休校がアナウンスされました。その時は春休み前の1週間のみを休校とし、春休み明けに学校に戻る予定だったのですが、休校中にも事態が悪化していったため、現在は5月までの休校が決定しています。レストラン含めほとんどの店が閉められており、外出も極力控えるよう要求されています。なのでここ1週間ほどは家から一度しか出ていません。それでもインディアナはまだマシな方で、皆さんもご存知かもしれませんがニューヨークやオハイオではロックダウンがされています。コロナによる休校が決まってから帰国日まではとにかく暇な時間が無限にありました。色んな暇の潰し方を試しましたが、個人的には一番良い方法はネットフリックスで英語のドラマを見ることでした。ちなみにその時見ていたドラマはイギリス英語だったのですが、自分がいかにアメリカのアクセントに慣れてしまったのか実感させられました。 そんなことをしながら、なんだかんだで時間は過ぎていき、このまま何もせずにアメリカを去るのは寂しいなぁと思っていた矢先、スペイン人の友達の帰国日が決定したという報せが届き、その友達のお別れパーティーのようなものがあったので、そこに行って数人の親しい友達にはお別れを言うことができました。さらにその翌日はスペイン人の友達を空港に送りに行ったあと、空港まで送ってくれたアメリカ人の友人の家で夜までお世話になり、帰国直前の3日間ほどは充実した時間を過ごすことができました。
今回は少し情報が少なめのレポートとなってしまいましたが、これで恐らく僕がレポートを書くのは最後になります。レポーターとして自分に出来る限りのことはやったつもりですが、やはりまだまだ未熟な部分も多く、読みにくい文章もあったかと思います。それでも僕のレポートを最後まで読んでくれたという方には、とても感謝の言葉が見つかりません。本当にありがとうございました。
今回の挨拶、“Howdy”ですが、これは主にテキサスやその他のアメリカ南西部(ニューメキシコやアリゾナなど)で使われるものです。かなりフレンドリーな挨拶ですね。言及した地域以外でも普通に意味は通じるので、例えばインディアナに留学していたとしても、親しい友達におどけた感じで使うのはアリかもしれません。
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今回は少し情報が少なめのレポートとなってしまいましたが、これで恐らく僕がレポートを書くのは最後になります。レポーターとして自分に出来る限りのことはやったつもりですが、やはりまだまだ未熟な部分も多く、読みにくい文章もあったかと思います。それでも僕のレポートを最後まで読んでくれたという方には、とても感謝の言葉が見つかりません。本当にありがとうございました。