Mizukiのテキサス州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 10ヶ月目
こんにちは。Mizuki です。ここ二週間近く、毎日30℃を超えていて、五月なのに…さすがテキサス!というような気候の中、今日、5月24日に277日にわたるアメリカでの高校生活が幕を閉じました。帰国まであとちょうど2週間。今回のレポートで最後ということで、今年一年間、どうしようもなく辛くて、悲しかったこと、ありえないくらい楽しかったこと、そして、最後に差し掛かった今の気持ちについてお話ししたいと思います。
まずは、辛かったことについて。思い返すと、一番つらいと感じていたのは、九月ごろでした。学校が始まって、なんとなくこっちの高校のシステムを理解し始めてきたころ。先輩方のお話なんかでよく聞いていたことが実際におきました。それは、周りが私を特別扱いするのを急にやめる。ということです。本当に最初のうちはみんな笑顔で、お互いに自己紹介をして、日本か〜Sushi??なんて言って、いろんなことを質問してきてくれました。ただ、ある程度向こうもすべての質問を出し切った後、そこが問題でした。それが、大体、九月くらいで、その時の私はとにかく自分の英語に自信がなくて、自分から相手に質問を返すという考えが頭の隅にもありませんでした。特別な扱いを受けることになれていたので、みんなが急に話しかけてこなくなった。態度が冷たいと感じる。友達になったと思ったのに…。そんなことが日記にかいてあって、かなり落ち込んだ時期でした。後で、聞いた話ですが、周りの人たちも私にどうやって接するべきか分からなかったそうです。気を付けていたつもりでしたが、やっぱり無理してでも元気で明るく、前のめりな姿勢でいるのが向こうにとっても扱いやすいと思います。自分で考えている以上にすることが鍵でした。多分、やれと言われて簡単に物おじせず、できる子も多少はいると思いますが、この先、留学をする子たちに私が言えることは、みんなの意識が離れていって、留学生として扱ってもらえなくても、びっくりしないこと。ポジティブに考えると、周りの子に外国から来たよく分からない留学生ではなく、一人の人間として見てもらう機会です!できる限りの英語で、精一杯何か相手にも質問をしてみること。向こうの言っていることが理解できなかったら、そうやって正直に言うこと。逆に、分かっているときは、頷いたりして必要以上に分かっているアピールをすること。(私は、ここが苦手で、最初の方に注意を受けました。それからは、かなり気を付けるようにしています。)友達づくり、対人関係は、エクスパートとは到底言えないのでここらへんにしておきます(笑)
次に、楽しかったこと!といってもたくさんあって、複雑だったりして語り切れないのですが、今年、一番の思い出は…よくも悪くもバンドでした。何度もレポートで書いてきたと思うのですが、5月21日のSpring Concertで正式に終わりを迎えました。マーチングバンドとして始まり、辛い練習の中本気で辞めたくて、ホストファミリーに相談し、カウンセラーに時間割を変えてもらうように話しに行ったことも、今となっては遥か昔の懐かしい出来事です。マーチングバンドが終わるとコンサートシーズンになりました。UILに向けての練習に切り替わり、椅子に座って演奏できる喜びを初めてかみしめました(笑)一番のサプライズは、Band Directorの変化です。マーチングをしていた時、とにかくずっと不機嫌で怒っていて、怒鳴り散らされ、厳しいメニューを常に出し続けていたDirectorが、シーズンが変わるのとともに性格まで変えてきました(笑)この人、人生で笑ったことあるのかな?と失礼にも真剣に考えていましたが、いきなり雰囲気が柔らかくなり、練習も楽しめるようになりました。大嫌いだったDirectorは、本当はすごくいい人で、素直に私たちがいい結果を得るために一生懸命に厳しくしていたことが理解でき、今ではとても尊敬するいい先生です。4月の下旬には、隣の州のルイジアナのニューオーリンズにバンドトリップで行ってきました。正直、そこまで楽しくはなかったですが、ニューオーリンズに行く機会なんて滅多にないので、行けてよかったと思います。そして、一年の締めくくりのbanquet!みんなでおめかしして、DJを呼んできて、一年の表彰などをして、そのあとはダンスパーティー!セクションで写真を撮ったり、話したりして、いい時間を過ごしました。私の留学生活を振り返ると、このバンドなしには語れません。もちろん、かなり苦しかったのですが、それがいい機会となって、成長することができました。決して全部が全部いい思い出ではないけれど、入ってよかった、辞めなくてよかった、と胸を張って言えます。
日本を出る前、文際の方から日本の親との連絡について言われ、母と話し合って、連絡は一切取らないことに決めました。とはいっても、Emailで必要なものを頼んだり、最初の方は近況報告なんかを英語で送っていました。電話は、この一年で2回。冬と春に一回ずつしました。LCや、ホストファミリーに何度も親に電話してやれ、親もきっと寂しんでいるよ。と何度いわれてもここまで徹底したのには訳があります。留学に行くと決めたのは中2の頃でした。親から離れたい、というのは理由ではありませんでしたが、一人でも強く生きられるようになりたいと思っていたのは事実です。日本にいたころの私は、下の子らしく甘えられて育ち、生活力は皆無でした。母もどちらかというと心配症なので、この一年、頑張って連絡したい気持ちを抑えて頑張ってくれたと思います(笑)。連絡を頻繁にとり、電話をして声を聞いてしまうと、どうしても昔の自分に戻ってしまうきがして、目一杯存分に、成長するために敢えて連絡を控えました。近くにいなくても、たまに荷物と一緒に届く手紙に励まされていました。私の誕生日に送られてきた手紙に、「どうしても無理だと思ったら、日本に帰っておいで。いつでも歓迎だよ」。と、書かれていました。何をしても自分の居場所は絶対にあると再確認して、次の日から今日まで約5か月間頑張ってこられました。留学というのは、一人では絶対に完成できないものなので、目に見えないたくさんの努力とサポートがこの一年間、支え続けてきてくれたことに今、とても感謝しています。
今、一年間でためにためた学校のプリントを処分し、散らかした部屋を片付け始め、そろそろ本当に帰国するのだなと身に染みてきました。校舎から出され、通いなれたバンドホールに行き、Director達にりこちゃんと感謝の気持ちを伝え、みんなとハグをして、車で帰ろうとしたとき、この一年、何一つ分からない状態から、ここまでよく頑張ったな、と思うと涙が止まりませんでした。悲しいというよりも、この一年間よく頑張った、という達成感からの涙でした。何のために、何を目標に留学するのかはっきりとは分からないまま日本を出てきてしまい、モチベーションもなくただただ、やり切るぞという根性で困難を乗り越えてきました。それでも一つ、一つ、苦しくて、悔しい思いをした経験が私を強くしてくれました。楽しいだけの高校留学なんてないと思います。でも、今、私が思うのは出会えた先生たち、友達、ファミリー、FLAGの人たちへの感謝の気持ちと、この一年間、私の16年の人生の中で一番濃くて充実した時間を過ごせたという達成感と、言葉では説明しきれないほどのたくさんの感情です。でも、やっぱり最後に胸を張って言えるのは、アメリカに一年間、交換留学してよかった。ということです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。少しでも私の体験談が参考になり、留学生活がどんなものなのかをみなさんに理解していただけたら嬉しいです!
ダラスまで、バスに乗り、演奏しに行きました。演奏の後、ホルンセクションで、写真を撮りました!
友達の家に泊まりに行ったときです(笑)
家族でいちご狩りに行きました
次に、楽しかったこと!といってもたくさんあって、複雑だったりして語り切れないのですが、今年、一番の思い出は…よくも悪くもバンドでした。何度もレポートで書いてきたと思うのですが、5月21日のSpring Concertで正式に終わりを迎えました。マーチングバンドとして始まり、辛い練習の中本気で辞めたくて、ホストファミリーに相談し、カウンセラーに時間割を変えてもらうように話しに行ったことも、今となっては遥か昔の懐かしい出来事です。マーチングバンドが終わるとコンサートシーズンになりました。UILに向けての練習に切り替わり、椅子に座って演奏できる喜びを初めてかみしめました(笑)一番のサプライズは、Band Directorの変化です。マーチングをしていた時、とにかくずっと不機嫌で怒っていて、怒鳴り散らされ、厳しいメニューを常に出し続けていたDirectorが、シーズンが変わるのとともに性格まで変えてきました(笑)この人、人生で笑ったことあるのかな?と失礼にも真剣に考えていましたが、いきなり雰囲気が柔らかくなり、練習も楽しめるようになりました。大嫌いだったDirectorは、本当はすごくいい人で、素直に私たちがいい結果を得るために一生懸命に厳しくしていたことが理解でき、今ではとても尊敬するいい先生です。4月の下旬には、隣の州のルイジアナのニューオーリンズにバンドトリップで行ってきました。正直、そこまで楽しくはなかったですが、ニューオーリンズに行く機会なんて滅多にないので、行けてよかったと思います。そして、一年の締めくくりのbanquet!みんなでおめかしして、DJを呼んできて、一年の表彰などをして、そのあとはダンスパーティー!セクションで写真を撮ったり、話したりして、いい時間を過ごしました。私の留学生活を振り返ると、このバンドなしには語れません。もちろん、かなり苦しかったのですが、それがいい機会となって、成長することができました。決して全部が全部いい思い出ではないけれど、入ってよかった、辞めなくてよかった、と胸を張って言えます。
バンドトリップでニューオーリンズ!
ニューオーリンズで、ディナークルーズをしました。一番の思い出です
日本を出る前、文際の方から日本の親との連絡について言われ、母と話し合って、連絡は一切取らないことに決めました。とはいっても、Emailで必要なものを頼んだり、最初の方は近況報告なんかを英語で送っていました。電話は、この一年で2回。冬と春に一回ずつしました。LCや、ホストファミリーに何度も親に電話してやれ、親もきっと寂しんでいるよ。と何度いわれてもここまで徹底したのには訳があります。留学に行くと決めたのは中2の頃でした。親から離れたい、というのは理由ではありませんでしたが、一人でも強く生きられるようになりたいと思っていたのは事実です。日本にいたころの私は、下の子らしく甘えられて育ち、生活力は皆無でした。母もどちらかというと心配症なので、この一年、頑張って連絡したい気持ちを抑えて頑張ってくれたと思います(笑)。連絡を頻繁にとり、電話をして声を聞いてしまうと、どうしても昔の自分に戻ってしまうきがして、目一杯存分に、成長するために敢えて連絡を控えました。近くにいなくても、たまに荷物と一緒に届く手紙に励まされていました。私の誕生日に送られてきた手紙に、「どうしても無理だと思ったら、日本に帰っておいで。いつでも歓迎だよ」。と、書かれていました。何をしても自分の居場所は絶対にあると再確認して、次の日から今日まで約5か月間頑張ってこられました。留学というのは、一人では絶対に完成できないものなので、目に見えないたくさんの努力とサポートがこの一年間、支え続けてきてくれたことに今、とても感謝しています。
バンケット!Trumpetsと
バンケット!こっちはHornsと
今、一年間でためにためた学校のプリントを処分し、散らかした部屋を片付け始め、そろそろ本当に帰国するのだなと身に染みてきました。校舎から出され、通いなれたバンドホールに行き、Director達にりこちゃんと感謝の気持ちを伝え、みんなとハグをして、車で帰ろうとしたとき、この一年、何一つ分からない状態から、ここまでよく頑張ったな、と思うと涙が止まりませんでした。悲しいというよりも、この一年間よく頑張った、という達成感からの涙でした。何のために、何を目標に留学するのかはっきりとは分からないまま日本を出てきてしまい、モチベーションもなくただただ、やり切るぞという根性で困難を乗り越えてきました。それでも一つ、一つ、苦しくて、悔しい思いをした経験が私を強くしてくれました。楽しいだけの高校留学なんてないと思います。でも、今、私が思うのは出会えた先生たち、友達、ファミリー、FLAGの人たちへの感謝の気持ちと、この一年間、私の16年の人生の中で一番濃くて充実した時間を過ごせたという達成感と、言葉では説明しきれないほどのたくさんの感情です。でも、やっぱり最後に胸を張って言えるのは、アメリカに一年間、交換留学してよかった。ということです。
最終日に撮った学校の中庭
最後のスクールバス
この一年間で通いつくしたバンドホールへの扉。学校が始まる一週間前から最後の日まで。私の留学生活のほとんど…
最後までお読みいただき、ありがとうございました。少しでも私の体験談が参考になり、留学生活がどんなものなのかをみなさんに理解していただけたら嬉しいです!
UILでグレードすべて1をとりました!