Yodaiのアメリカ高校留学・体験談10ヶ月目
Not Goodbye, Just See You Later (さよならじゃなくて、またね。)
このレポートは僕にとって最後のレポートです。今まで書いてきた留学レポートはいつも遅れてしまったから、このレポートだけは多くのことをきちんと書いたので期日通り届くことを祈っています。
三月日本で地震が起こってから、学校は僕と日本のためにhat dayを設置してくれ、学校にいる人達が義援金を入れられるようになりました。Hatは義援金を集めるために使われるものとしての役割があります。僕の学校は学校内で帽子を普段かぶってはいけないのですが、hat dayの日は1ドル募金すると一日中中で帽子をかぶることが許可されるというものです。また学校とあるclubはイベントを開催してくれました。でも僕はそれには参加しませんでした。と言うのもそのclubは別のことのためにこのイベントを行っていたからです。同じ頃、BIEEの一人の交換留学生が他の留学生にFacebookでメッセージを送っていました。彼女が何を書いたのかよく覚えていませんが、記憶に残る限りでは確か「アメリカにいるからこそ、私達は日本のために何かすべきだよ。私達にできて、他の人にできないことが絶対何かあるはず。最低でも義援金を集めることができるし、交換留学生としてむしろやるべきなんじゃないかな。」みたいなことを言っていました。僕にとってこの呼びかけは固い頭を動かしてくれました。そして僕はピアノを弾けるので、チャリティーコンサートを開けないかと考えました。次の日の放課後、officeに行き、コンサートを開けないか先生に頼みに行きました。先生たちは僕のリクエストに答えてくれて、5月14日の土曜日に開催することを最終的に決めてくれました。僕のほかにも10数名の人たちがパフォーマンス(ダンス、ギター、歌etc…)することになりました。本当にありがたいことに週末にも関わらず50人以上の人たちが募ってくれました。また、このコンサートは日本の震災だけでなく、4月にノースキャロライナで起こったトルネードによる被災した人たちのためでもありました。僕の家から3マイル離れた所を通過したために、そこら一帯は壊滅的ダメージを受けていました。日本でこれについて報道があったかどうかは知りませんが。コンサートの前日まで知らなかったことだったのですが、僕がピアノを弾いている間、地震と津波のvideo clipを流そうと企画してくれた人たちがいました。その話を聞き、その映像に合ったピアノ演奏曲を選びました。最初に弾こうとしていた曲は映像と合っていなかったので。その週APの授業のテストがあったので、あまりピアノの練習はできなかったのですが、多くの人が来てくれ、協力してくれ本当に感謝しています。そして何よりも成功して良かったです。
現在、日本NEWSのwebサイトにいかない限り、地震のことは聞かなくなりました。でも知っている限りでは、現状よろしくないようです。何人かの政治家が首相を引きずり降ろそうとしているということも聞きました。詳しいことは知りませんが、私達の国を再建するためには一つになるべきだと思います。そして今回の震災は日本だけの問題ではありません。震災により経済力が落ちた日本の問題は他の諸外国に多大な影響を与えるからです。日本の外からこれについては強く思っています。
学校の授業について書くとすると、前まで僕はU.S historyよりもCivics&Economic(市民経済or 都市経済)の方が履修するのに良いと思っていました。今だから言えるのですが、アメリカについてより知っていくには、U.S historyは本当に重要だと思っています。歴代の大統領が何を行ってきたのかを僕は学びました。アメリカに来る前そして、U.S historyを取る前は南北戦争におけるGeneral Robert Leeについてすら知りませんでした。彼について話ながら、僕がユースグループの友達と川辺に向かっている途中たまたまGeneral Robert Leeが住んでいた家の前を通りました。それゆえ、僕にとって身近な存在になりました。とにかく、もしあなたがアメリカに来て深く学びたいなら、アメリカの歴史を知ることは本当に重要だと思います。だからではないでしょうか?留学生にU.S historyを履修するように要求されるのは。
そして2月にノースカロライナの学校に通うsophomoreが必ず受けなければならないWriting testの結果が返ってきました。テストの課題は基本、地球温暖化の原因とその影響、そして抽象的言葉の語彙の意味です。例えば、discriminationとか。結果の付け方はレベル1からレベル4の四段階に分けて返ってきます。毎年300人から500人受けるテストですが、1人2人しかレベル4は取れないそうです。レベル4の生徒がいない年もあるそうです。レベル3、レベル2は100人から150人の生徒が例年です。今年の問題は「新一年生のために、高校生活をどう成功されるかの意味についてのスピーチの原稿」を書けというものでした。高校生活をどのように成功させるべきなのかではなく、その意味についての問題だったので、難しかったです。でも結果はレベル3を取ることができて、自信をつけることができました。
他に気づいたことといえば、国に対する人々の向き合う姿勢です。それが良いとか、悪いとか言っているのではありません。日本と異なるのです。僕たちはアメフト、野球、サッカーの試合の度に国家を歌います。教会では、「私は国旗にそして自由と正義を抱える神の下において一つの国を立たせるための共和制に忠誠を誓います。」という忠誠をささげます。学校でもたまに行います。日本では卒業式やワールドカップといった祭典といった特別な時にしか国歌を歌いません。また、アメリカ人が国旗の星や線に注視するのに対して、日本人は日の丸に対してあまり注意深くないのではないでしょうか。そのような中でも、アメリカ人同様、日本人は同じくらい国を愛してると思います。しかし、比較は僕の考えを支えてはくれません。それは何故なのかは今後考えていきたいと思います。
僕のホストマザーはコーディネーターであり、今まで9人の留学生を預かったことがあります、つまり、僕が10人目です。そしてFLAGからの留学生を預かるのは初めてだったそうです。ホストマザーは他の団体で働いていますが、彼女が僕を留学生として選んでくれたのは神による運命なのではないでしょうか。こう書いているうちに感情がこみ上げてきて、泣く前にこのパラグラフを書き終えられるかどうか。。。また僕は公立の学校に行った留学生として初めてでもあります。僕が今年通っていた学校はAFSからの一人の留学生を除いて誰も引き受けていない所でした。過去に中国からの留学生が問題起こしたらしく、それ以来交換留学に対して閉鎖的なようです。学校ももうすぐ終わりです。ホストマザーがこの前話してくれたのですが、僕は例外として受入れられたのだそうです。学校側の寛容な姿勢に感謝している現在です。最初ホストマザーは僕を公立の高校に行かせるのにものすごく心配だったと話してきました。過去の交換留学生が公立であまり良くない学校生活を送ったと聞いていたからです。でも、今では彼女自身感謝しており、また僕自身もとても素晴らしい1年間を過ごしたので、お互い満足しています。それゆえに今後受入れる留学生は公立に行かせると言っていました。もし僕が学校で問題を起こしたり、何かやらかしてしまったら、こうもならなかったでしょう。来年からの留学生は公立の学校に行くのに困難な状況になってしまうはずです。ホストマザーが「本当に1年間学校で頑張ってくれてありがとう!」と言ってくれました。僕自身、ホストマザーに少なからず「つながり」をつくることができたのではないかと思っています。
本当に色んなことがここで起きました。この1年間は大変だったけど、もし日本にいたらこんな経験はできませんでした。だから、今本当に幸せです!そして、本当に両親に感謝しています。約一年間留学させてくれてありがとうございました。お父さんは留学した経験があるから、僕が海外で何をやっているかはだいたい分かっているでしょう。お母さんはいつ、どんな時も僕のこと心配してくれました。そして僕の困難で、苦しくてでも素晴らしく過ごせた留学生活を支えてくれたホストファミリー、学校の先生、友達、コーディネーターそしてアメリカ合衆国。全ての人に感謝の意を伝えたいです。日本の高校を卒業したら、絶対戻ってきます。
後輩の留学生に何かアドバイスするとしたら、僕はほとんどメールをしませんでした。確かに時々必要なのは分かっています。でも、このアメリカの地で何が起こっているのかに集中すべきなのではないでしょうか。人によって考えは違うから、皆がどう思っているか知りませんが。
最後になりますが、今回のfinal reportのタイトルは友達が僕に言ってくれた言葉です。それ以来、僕にとって特別な意味を持ちました。