Yukiのミシガン州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 9ヶ月目【@】
こんにちは!コロラド州にいるYukiです。
時たま北極圏の気温すら下回るほど寒かったミシガン州の過酷な冬も終わり、現在僕はコロラド州に滞在しています。最近は半袖で半ズボンでもギリいけるくらいには暖かくなってきました。7月末に日本を発ってから約8ヶ月、英語力に反比例して日本語、特に文章力おいては日を追うごとにどんどん低下していますが、可能な限り分かりやすくお伝え出来るように善処します。
ではまず、なぜ先々月のレポートまではミシガン州で凍えていたはずの僕が平均標高2070m、1番低い地点ですら標高1km以上の全米で最も高い場所に位置する州、コロラド州に滞在しているのか、そこからお話していきます。と言っても何か特別な理由があるわけでもなく、単にホストマザーの実家に春休みを利用して帰省しているだけです。(笑)
同じアメリカでも州が違うと雰囲気が全く違ってきて、とても面白いです。例えば、車に乗っているだけでもコロラド州の道はひたすら真っ直ぐでデコボコしていなく、車窓を除けば雄大なロッキー山脈が窓いっぱいに広がっていたりと新しい発見でいっぱいです。他にも日本では持っているだけで違法な大麻がなんとコロラド州では合法です!ミシガン州からコロラド州へ飛行機で向かった初日、僕は日本の文化の素晴らしさに感銘を受け、お辞儀の大切さを改めて実感しました。
アメリカに来てからハマったスターバックス、この中で僕のイチ押しメニューはストロベリーフラペチーノです!これを空港のスタバで手に入れることが初日時点での最大の目標でした。ストロベリーフラペチーノの単語の中には僕の苦手なrの発音が2回も入っていることに絶望ながら並んでいる最中に「ストロベリー、ストロベリー」と小声で一生懸命練習していました。1発で伝わったのが嬉しくて店員さんにはセンキューと同時に90°くらいまで謝罪レベルの角度でお辞儀を披露してしまいました。そして悲劇は起きました。ルンルン気分でフラペチーノを楽しんでいたところ、ルンルンし過ぎてトイレの床にぶちまけまったのです。「こいつはトイレの床に這いつくばってなにをしているんだ」という視線に耐えながら、ストロベリーの赤のせいで犯行現場のようになったトイレの床を、義母にいじめられているシンデレラのごとく一生懸命拭き取りました。もう1回買い直す事を覚悟してスタバの列に並び直すとさっき僕がお辞儀を披露した陽気な店員さんが「よぉ!お辞儀ボーイ、また来たんか!」と覚えていてくれました。店員さんのご好意おかげで新しいフラペチーノが無料で手に入り、こんな幸運が起こるなんて予期していなかった僕はまたもや90°超のお辞儀を披露してしまいました。日本に生まれて17年ペコペコしまくる癖がついていたことに感謝すると同時に心の中でもう1度お辞儀をした瞬間でした。
無事コロラド州に到着すると、おじいちゃんが空港まで迎えに来てくれました。コロラド州の空港はほのかに甘い香りがしていました。気味の悪い馬のモニュメントが空港のすぐそばに飾られていて、おじいちゃんに聞いてみると製作者の上に倒れて作者を圧殺した曰く付きのものだということでした。みんな気味悪がる一面、なぜかコロラド州のマスコットキャラ的なものになっているようでした。遠目から見ても瞳が爛々と赤い光を放っていて正直不気味でした。おじいちゃんの家に着くと僕の好物のポーランド料理、チキンパプリカッシュを用意してくれていました。親戚の小さい女の子が2人来ていて一緒にアメリカの幼児用教育番組を見ていたら、不覚にも結構いい勉強になりました。
滞在中にはおじいちゃんが博物館やコロラド州の山岳地帯などいろんなところに連れて行ってくれました!到着した次の日にはレストランを貸し切った家族パーティに参加しました。集まった母方の親戚の数はなんと70人!次から次へと挨拶していく中で感じたのは家族全員本当にいい人達で、みんないきなり現れた僕のことを家族のように接してくれました。ただし僕の記憶力では最初の5人くらいまでの名前しか覚えられず、5分前に話した人にも初めましてと連発してしまいました。けれど、みんな嫌な顔1つせずに笑顔でもう1度自己紹介してくれました。小学校6年生くらいの独学で日本語を勉強し出すほどの日本アニメが大好きな男の子がいて、日本語を教えてあげるとすごく喜んでくれました。「卍」、この言葉のニュアンスを英語で説明するのに10分以上かかってしまいました。(笑)ここで僕がアメリカに来てから約7ヶ月半、今までかなり沢山の日本のアニメファンに会って来ました。その中でも知っているとそれだけで相手のテンションが上がっていくようなアメリカ人がよく見てる日本の人気アニメランキングTop5を発表したいと思います。ジャン!
やはりドラゴンクエストをデザインした鳥山明先生は偉大でした。1位 ドラゴンボール
2位 僕のヒーローアカデミア
3位 ナルト
4位 ワンピース
5位 ワンパンマン
<番外編>北斗の拳の「お前はもう、死んでいる。」「なにぃ!」の流れにノれると、受けが良いです。
3日目にはコロラド州の首都デンバー観光と博物館、そしてカセボニータというレストランに連れて行ってもらいました。金箔で覆われた州庁舎の屋根を見て「これは誰かに剥がされて持ち去られたりしないのだろうか」と一抹の不安を覚えました。午後からまわった博物館は自分が想像していた数倍大きくて、ネイティブアメリカンの歴史から野生動物、人体、ミイラ、宇宙、恐竜などなど本当になんでもありました。特に、宇宙が生まれてからの歴史を、地球の変動や進化の軌跡をたどって一緒に人類史も見れる展示は、自分があたかも賢くなった気がしてくるのでおススメです。夕食をとったカセボニータとは、15分ごとに滝壺ダイブやピストルの撃ち合い、海賊ショーなどいろんなイベントを見ながらメキシコ料理を食べれるテーマパークのようなレストランです。おかわり自由だったので調子に乗って3皿目に挑戦したら、経験したことのない激しい満腹感に襲われました。が、意を決し、デザートのフライドアイスクリームや揚げパンに蜂蜜を沢山かけて頬張りました。ダイバーや海賊が食事をしている横でボッチャンボッチャン滝壺に飛び込んでいて親戚の小さい子達も楽しそうでした。
翌日はホストペアレンツと一緒にホストマザーの幼少期の家のあたりに行ったり、キャンディ工場を見学したりしました。食料品店などは遥か彼方ですがその分360度ロッキー山脈の大パノラマが広がっていました。この景色を毎日見ることができたホストマザーを少し羨ましく思ったりもしました。午後は老舗のキャンディ工場を見学して、美味しそうなキャンディをホストマザーが沢山購入していました。
ところで1日で3回富士山に登って降りることを繰り返したことはありますか?きっとほとんどの人がそんな意味わからないことはしていないと思います。もちろん僕もありません。けれど僕は先日、富士山山頂と同じくらいの高さまで登り降りることを1日で3回も繰り返す経験をしました。まず初めにレッドロックというその名の通り赤い石を見に行きました。ただし、ただ赤いだけではありません、めちゃくちゃデカイのです。
レッドロックス公園には全米ナンバー1とも言われる自然の野外ライブ会場もあります。おじいちゃんによるも巨大な岩々が上手くステージを囲んでいるため上手く音を反響して迫力満点のライブが楽しめるそうです。過去にはビートルズなどのスーパースター達のライブも開かれていたようです。ちなみにレッドロックと関係しているのかは分かりませんがコロラド州のコロラドとスペイン語で赤を意味する言葉だそうです。
レッドロック観光を終えた後、遂に例の超アップ&ダウン観光を行いました。ロッキー山脈の中を時速130キロで走り数々の名所をまわりました。本当に言葉では形容できないほど綺麗で、足りない語彙力でひたすら”Beautiful”と”Awesome”を呟くことしかできないでいると、おじいちゃんが壮観な眺めを表す時に使うマジャスティックという言葉を教えてくれました。お昼ご飯は1つ目の山を越えた後、どんどん細い道に入って行き、山奥のレストランでホットドッグを食べました。お店自体はコニーアイランドという結構有名なチェーン店なのですが何故か山奥でひっそりと営業していて見た目はホッドドック、しかも鹿の肉を扱っているという不思議なお店でした。アメリカの有名アニメにサウスパークというものがあるのですが、実はこれ、実在するコロラド州のサウスパークが舞台となっています。先程話したカサボニータもサウスパークに登場しています。山頂から見る山々に取り囲まれているサウスパークの景色は本当に美しく、覚えたての単語マジャスティックをひたすら連呼していました。うちに帰ると急激なアップダウンで疲れていたのかすぐに眠くなり、翌朝目を覚ましたら11時間も眠っていました。
4日目は朝食をとった後、近くにあるアジア食品専門店に買い物に行きました。久しぶりのタピオカやカントリーマームに目がくらみついつい4000円くらい爆買いしてしまいました。お母さん、お父さん浪費してしまいごめんなさい。
お昼からはホストマザーのおばあちゃん、つまり僕からするとひいおばあちゃんの家に向かいました。ひいおばあちゃんの家は築100年をゆうに越えていてひいおばあちゃん自身も90歳を越えいます。庭にある大工さんだったひいおじいちゃんお手製ぶらんこに乗ってホストファザーと一緒にはしゃぎました。ひいおばあちゃんから僕まで四世代を乗せて揺れてきたぶらんこは年季が入っていて漕ぐたびにきしみ歴史を感じさせると共に一抹の不安も感じさせてくれました。亀の甲より年の功という言葉は本当で20世紀の始めから時代をまたいで21世紀まで生きてきたひいおばあちゃんの話はどれもこれもとても面白くてついつい聴き入ってしまいます。突然ですが僕が個人的に面白かったひいおばあちゃんの体験談ランキングTop 3を発表しようと思います。
1位 アメリカの第二次世界大戦
2位 大恐慌時代の生活
3位 この90年間で1番驚かされた発明
ひいおばあちゃん曰く、大恐慌時代には本当に何もなくて、持っていたお金はその時にポケットに入っていたお金だけ、みんなお金がないのでもちろん雇用はなくなっていきました。そんな中、ひいおばあちゃんの両親はお金ではなく、近所の人たちと物々交換をしながら助け合い、何とか4人の姉妹を育ててくれたと語っていました。そこに追い討ちをかけたのが大規模な乾燥で、ひいおばあちゃんの両親が砂嵐の中で布をかけて自分を守ってくれていたことは幼いながらに覚えていると話していました。20世紀で1番驚かされた発明は、テレビでも僕らが夢中になっているアイフォンでもなく、ガスコンロだと言っていました。子供時代の電気も水道もなかった生活から、いきなり捻るだけで火を起こすことができるガスコンロが普及した時の衝撃は、今でも忘れられないそうです。ひいおばあちゃんの話はどれも本当に面白く貴重な体験談ばかりでした。その中でも、特におもろしかった話が、ひいおばあちゃんが運転する車の中で話してくれた原子爆弾や第二次世界大戦下での日本に対する感情です。自分の夫の友人が投下に関わっていて、投下が成功した話を聞いた時はこれで戦争が早く終わるかもしれないと喜んだ話や、広島と長崎に広がっていた惨状などは知る由もなかったことなど。今では全く恨んでいないが、多くの知り合いが戦争で家族や友人を失ってみんなが日本人を憎んでいたことなどを語ってくれました。けれど戦争のおかげで苦しい大恐慌の中で雇用が生まれたこと、そして戦争が終結して、空軍で働いていた夫が無事だったことが本当に嬉しかったことなど、どの話もすごく勉強になりました。また、今は日本に対してそう言った負の感情は無く、1番よくなかったのは戦争だと語っていました。
少しコロラドの話題から離れますが、学校でもアメリカ史のクラス内で先生が第二次世界大戦について話し合う機会を設けていました。アメリカに対しての印象、特に「日本人は今でもアメリカを恨んでいるのか?」「真珠湾攻撃について日本では何と教わってあるのか?」「特攻は普通に考えたらおかしくないか?」など、みんなすごく興味を持って聞いてくるので、日本で歴史の成績が壊滅級だった僕が言うのもなんですが、しっかり勉強しておくことをオススメします。 僕の印象では、大戦下の日本については、もしかたら日本よりも時間をかけて詳しく教えてくれているかもしれません。僕の学校は6000人も生徒がいるだけあり、様々な生徒がいます。特にアメリカ史のクラスにはLGBTの友達やいろんな国から来た子がいて留学生だけでも1クラスに5人もいます。おかげで色んな考え方を聞けてすごくおもしろい授業です。
コロラドを発つ前日、ひいおばあちゃんが木彫りのバッファローをくれました。どうやらひいおじいちゃんが作ったものらしく、大工さんだっただけあり凄く立派なものでした。家の中には、ひいおじいちゃんが長年かけて生涯で少しずつ作り上げて来た家族の思い出が至る所にあり、会ったことはないけれどなんとなくひいおじいちゃんを感じることができました。木彫りのバッファローは僕の一生の宝物です。
最終日は朝3時に起きてまだ暗い中出発しました。この1週間、いろいろなところに連れて行ってくれたホストマザーのお父さんに感謝の気持ちをぎっしりと綴ったティッシュペーパーをこっそり机の上に置いておきましたが、今ごろただのちり紙だと間違われてきっとゴミ箱の中でしょう。